人よアンチパターンを恐れるなかれ
人よアンチパターンを恐れるなかれ。
キミがそのパターンをアンチパターンと見なしていない限りは、アンチパターンではないのだ。
人は親のもとで育つ。育ててくれたものへの感謝と尊敬の念は忘れてはならない。
しかし、忘れてはならないのは、いつか親離れするときが来ると言うこと。そして、自分自身もいつか親になるときが来る。
キミを今いるところまで育ててくれたのは何だろうか。尊敬できる先輩か、人気の言語か、重厚なフレームワークか、権威ある書籍か、活発なコミュニティか。
もしかしたら、育ての親はアンチパターンをはらんでいるかもしれない。しかし親を恨むことはない。その親も、多くの先人たちが育ててきたものに違いはない。
それを知ったとき、キミは親離れの第一歩を踏むのかも知れない。
親とは違う思想を得たとき、キミは親離れの第一歩を踏むのかもしれない。
すべてを解決する人間は存在しない。だから、銀の弾丸も存在しない。
キミのコードをレビューする人たちでさえ、キミより経験があるかもしれないが、銀の弾丸ではないし、万能の神ではない。
凄腕の先輩が職場にいたとして、じゃあ彼は、スパゲティコードを書いたことがない、なんてことはない。アンチパターンを踏んだからこそ、彼は凄腕なのだ。
キミも凄腕になりたいのなら、同じように、アンチパターンを踏んで、踏んで、踏みまくって、経験を積むしかない。
10年後、20年後には、今の手法がアンチパターンとされることだって有りうるのだから。アンチパターンを避けることは、進歩を止めることだ。
"ハサミは刃物だから取扱いに注意する" ことを、キミはいつ、どんなときに知っただろうか。ハサミを使っていて、ヒヤリとした経験があるからかもしれない。
アンチパターンを恐れずに踏んでほしいのは、そういうことだ。
歩を進めねば、危ないこと、してはならないこと、しないほうがよいことというのはわからないものだ。
失敗を避けることだけに注力するのが賢明であるとは、先輩たちは思っていない。リジェクトされているのはキミではなくてキミのコードだ。
幼い子どもが、つたないながらも、必死に言葉を喋って気持ちを伝えようとしているのを否定してはならないように。
先達が公開してくれているアーキテクチャやデザインパターン、アンチパターンは、幼子にとっての図鑑のようなものだ。
恐竜、昆虫、魚、植物や乗り物…そういったものに心とらわれた経験をした人は少なくないはずだ。それと同じように、先達の手法の図鑑を、知識として得ることは何も悪いことでは無い。
幼い子どもが、目を輝かせながら、自分の知っている魚の知識を水族館で披露するように。
能動的な行動だから、進んでいくための燃料になる。
キミがそのパターンをアンチパターンと見なしていない限りは、アンチパターンではないのだ。
アンチパターンと見なせるような経験をしてほしい。
人よアンチパターンを恐れるなかれ。